ブルターニュ回想 3 ― 2009/05/22 08:06:05
海辺へは、毎日、昼食後に出かけた。
決まって出かける浜辺は2か所。ひとつは近く。ひとつはちょっと遠く。
遠いほうの浜辺まで歩くときは、いろいろな家の前を通って歩く。海が目の前にあるというのに、大きなプールを備えているところもあり、そこで、ゆったりと家族がくつろいでいる。
青い空の下、明るい太陽の下で・・・・
日によっては、ショワズィック(フランスワーズおばさんの娘)の家族と浜辺で合流したが、今になって思えば、わたしはずいぶん、無愛想な客人だったとはずかしくなる。
おしゃべりをしない。会話にはほとんど参加せず、わたしはずっと、書き物をしていた。そうだ、必ずノートを持っていって、わたしは、何かをずっと書き続けていた。
時折、「彼女、まだ書き続けてるの?・・・」といった声が、少し離れたむこうから聞こえてくる。
いったい何を書いていたのだろう、私は。
どこかを探したら、今もこのノートは見つかるだろうか。
おそらく書き続けていたのは、自分自身の心の風景だったのだろうけれど。
あのとき、ショワズィックの娘のガエルは、まだ中学生ほどの年頃だった。そのガエルも、もう一児の母だときく。
ショワズィックの夫、ポールは、亡くなったときいた。もう、5年以上も前だったか。ポールは医者だったのに・・・。
医者の不養生とは、どこの国も同じなのかもしれない。
決まって出かける浜辺は2か所。ひとつは近く。ひとつはちょっと遠く。
遠いほうの浜辺まで歩くときは、いろいろな家の前を通って歩く。海が目の前にあるというのに、大きなプールを備えているところもあり、そこで、ゆったりと家族がくつろいでいる。
青い空の下、明るい太陽の下で・・・・
日によっては、ショワズィック(フランスワーズおばさんの娘)の家族と浜辺で合流したが、今になって思えば、わたしはずいぶん、無愛想な客人だったとはずかしくなる。
おしゃべりをしない。会話にはほとんど参加せず、わたしはずっと、書き物をしていた。そうだ、必ずノートを持っていって、わたしは、何かをずっと書き続けていた。
時折、「彼女、まだ書き続けてるの?・・・」といった声が、少し離れたむこうから聞こえてくる。
いったい何を書いていたのだろう、私は。
どこかを探したら、今もこのノートは見つかるだろうか。
おそらく書き続けていたのは、自分自身の心の風景だったのだろうけれど。
あのとき、ショワズィックの娘のガエルは、まだ中学生ほどの年頃だった。そのガエルも、もう一児の母だときく。
ショワズィックの夫、ポールは、亡くなったときいた。もう、5年以上も前だったか。ポールは医者だったのに・・・。
医者の不養生とは、どこの国も同じなのかもしれない。
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