上海 ― 2009/09/15 23:28:10
15日から、Nさんは上海へ出張。
昨年は、パリに支社を作るために、何度となくパリへ行っていたが、事務所も定まり、現地スタッフも採用し、赴任社員も送り居住地も定め、なんとか動きだしたので、あとは、おまかせなんだそうだ。
だから、「もう、よほどのことがない限り、行くことはないかな」・・・・
残念だ・・・・・
Nさん、パリへ出張の旅に、お土産(100パーセント、Sweets)を頼んでいたのに、しばらく無理そうだ。
それに反して、上海は年に二度は行かなければならないらしい。
上海か・・・
私も、一度、十数年前に、訪れたことがあるけれど、あのころは、まだ空港は、ひとつだけ(古いほう)だった。
8日間におよぶ中国の旅の、最終地として訪れた上海は、土砂降りの雨。建造物が、骨の随までぬれそぼるような、雨、雨、雨の上海。
中国の旅の紀行文と写真をまとめることが仕事だった。デジタルカメラなど、まだなかったから、ニコン一眼レフに、広角・望遠レンズを別に持ち、ポジフィルムを36本ほど持っていった。
カメラはもちろん一台だから、被写体によって、せっせとレンズをかえ、よいところでフィルムが終わり、あわててフィルムの装填。帰国してからは、フィルムの整理と写真の整理、よくやったものだ。
この数年後、ニューヨークに同じ仕事で行ったときも、まったく同じ状況。
そしてさらに数年後に、同じ仕事で行ったスリランカの旅で、はじめて、キャノン一眼レフデジタルカメラになった。
革命的な変化だった。
でも今は、もう、海外での仕事は皆無だ。
なぜって・・・・経費削減、ひたすら経費削減ですから・・・・
昨年は、パリに支社を作るために、何度となくパリへ行っていたが、事務所も定まり、現地スタッフも採用し、赴任社員も送り居住地も定め、なんとか動きだしたので、あとは、おまかせなんだそうだ。
だから、「もう、よほどのことがない限り、行くことはないかな」・・・・
残念だ・・・・・
Nさん、パリへ出張の旅に、お土産(100パーセント、Sweets)を頼んでいたのに、しばらく無理そうだ。
それに反して、上海は年に二度は行かなければならないらしい。
上海か・・・
私も、一度、十数年前に、訪れたことがあるけれど、あのころは、まだ空港は、ひとつだけ(古いほう)だった。
8日間におよぶ中国の旅の、最終地として訪れた上海は、土砂降りの雨。建造物が、骨の随までぬれそぼるような、雨、雨、雨の上海。
中国の旅の紀行文と写真をまとめることが仕事だった。デジタルカメラなど、まだなかったから、ニコン一眼レフに、広角・望遠レンズを別に持ち、ポジフィルムを36本ほど持っていった。
カメラはもちろん一台だから、被写体によって、せっせとレンズをかえ、よいところでフィルムが終わり、あわててフィルムの装填。帰国してからは、フィルムの整理と写真の整理、よくやったものだ。
この数年後、ニューヨークに同じ仕事で行ったときも、まったく同じ状況。
そしてさらに数年後に、同じ仕事で行ったスリランカの旅で、はじめて、キャノン一眼レフデジタルカメラになった。
革命的な変化だった。
でも今は、もう、海外での仕事は皆無だ。
なぜって・・・・経費削減、ひたすら経費削減ですから・・・・
お会いしましょう ― 2009/09/05 15:50:29
3日、TJさんに電話をした。
入院中の時よりも、声に力がある気がする。
そしてあろうことか、3日間、出張で出かけるとのこと。
絶句・・・・
「いや、大丈夫ですよ」
と、そういわれても、私は、なんだかんだと、うるさいことを言ってしまったに違いない。はたと気がついた私は、
「わたし、うるさいですね。すみません。」
「いや、一度、お会いしましょう。会いたいと思った人には、思ったときに会っておくのがいい、最近、そう思うようになったんですよ」
そうですか、それは私も同じ思いです。
でも私、会いましょう、といわれて、「はい」って、言ったかな。
いや、言ったと思いたい。
とにかく、電話でのことは、あまり覚えていない。
なんだか、涙もろくて・・・・
入院中の時よりも、声に力がある気がする。
そしてあろうことか、3日間、出張で出かけるとのこと。
絶句・・・・
「いや、大丈夫ですよ」
と、そういわれても、私は、なんだかんだと、うるさいことを言ってしまったに違いない。はたと気がついた私は、
「わたし、うるさいですね。すみません。」
「いや、一度、お会いしましょう。会いたいと思った人には、思ったときに会っておくのがいい、最近、そう思うようになったんですよ」
そうですか、それは私も同じ思いです。
でも私、会いましょう、といわれて、「はい」って、言ったかな。
いや、言ったと思いたい。
とにかく、電話でのことは、あまり覚えていない。
なんだか、涙もろくて・・・・
2枚目の葉書 ― 2009/09/03 07:55:37
9月1日、TJ先生から、葉書。
28日金曜日に、退院したとのこと、9月15日には、大学に戻るつもりだということが、書かれてあった。
「学生のことが心配です」
TJさんは、今、T大学院の教官だが、このごろ思う。
TJさんは、こうして大学に縛られてしまわないほうが、よかったのではないか・・・・などと。
大学の研究室にいてこそ出来ることも、もちろんあるだろう。
でも、研究以外の多くのことにも、縛られる。
ま、そんなことを、私なんかが思ったところで、勝手な言い分でしかないが。
29日金曜日に、私は、竹でつくられた素朴な花器に、野の花をいけてもらい、それを持って、T大病院に向かった。
入院棟の案内カウンターで、TJ先生の名前を告げる。
と・・・・「昨日、退院なさっています」。
「え?・・・・・・・・・・」
私は
「そうですか、ありがとうございました」
といって、踵をかえした。
せっかく、お見舞いに来たのに・・・・という気持ちはもちろんあった。でも、どこかで、ほっと安堵している自分があったのも事実だった。
「神さまが、こうして、会わないようにしてくださったのかもしれない」
そんな風に、わたしらしくもない少女じみた発想が、ぽっと心のなかに生まれる。
実際、案内カウンターの前で、私はどきまぎしていた。
「どうしよう、どんな顔をして、どんな言葉を、はじめに言えばいいのだろう」
TJさんが、やつれていても、決して驚いた顔をしてはいけない。・・・・などと、緊張に乱れた私の心が、そのまま伝わってしまうことを恐れる気持ちばかりがふくらんでいたのだ。
だから、今日は会えない、ということがわかった瞬間、安堵したのは事実、そして、やはり「会いたかった」というせつなさが、帰路につく私を、ずっと支配していたのも、また事実。
いただいた葉書の末尾に、携帯電話の番号。
「今は、携帯電話だけが、通信手段です」
なるほど、メールは見られないということですね。
そうだ、私が入院中に送ったメールは、研究室の方がプリントアウトして病室まで届けてくれたとのことだった。
昨日は、一日中、仕事先で忙殺されて自由のきかない身であったけれど、今日、電話をしようと思います。
28日金曜日に、退院したとのこと、9月15日には、大学に戻るつもりだということが、書かれてあった。
「学生のことが心配です」
TJさんは、今、T大学院の教官だが、このごろ思う。
TJさんは、こうして大学に縛られてしまわないほうが、よかったのではないか・・・・などと。
大学の研究室にいてこそ出来ることも、もちろんあるだろう。
でも、研究以外の多くのことにも、縛られる。
ま、そんなことを、私なんかが思ったところで、勝手な言い分でしかないが。
29日金曜日に、私は、竹でつくられた素朴な花器に、野の花をいけてもらい、それを持って、T大病院に向かった。
入院棟の案内カウンターで、TJ先生の名前を告げる。
と・・・・「昨日、退院なさっています」。
「え?・・・・・・・・・・」
私は
「そうですか、ありがとうございました」
といって、踵をかえした。
せっかく、お見舞いに来たのに・・・・という気持ちはもちろんあった。でも、どこかで、ほっと安堵している自分があったのも事実だった。
「神さまが、こうして、会わないようにしてくださったのかもしれない」
そんな風に、わたしらしくもない少女じみた発想が、ぽっと心のなかに生まれる。
実際、案内カウンターの前で、私はどきまぎしていた。
「どうしよう、どんな顔をして、どんな言葉を、はじめに言えばいいのだろう」
TJさんが、やつれていても、決して驚いた顔をしてはいけない。・・・・などと、緊張に乱れた私の心が、そのまま伝わってしまうことを恐れる気持ちばかりがふくらんでいたのだ。
だから、今日は会えない、ということがわかった瞬間、安堵したのは事実、そして、やはり「会いたかった」というせつなさが、帰路につく私を、ずっと支配していたのも、また事実。
いただいた葉書の末尾に、携帯電話の番号。
「今は、携帯電話だけが、通信手段です」
なるほど、メールは見られないということですね。
そうだ、私が入院中に送ったメールは、研究室の方がプリントアウトして病室まで届けてくれたとのことだった。
昨日は、一日中、仕事先で忙殺されて自由のきかない身であったけれど、今日、電話をしようと思います。
携帯、鳴る ― 2009/08/25 23:24:05
11時56分、携帯が鳴った。
姫?と思ったが、アドレスに登録していない電話番号の数字が、携帯画面に表示されている。
誰だろう・・・・
そう思いながら、通話ボタンを押した。
「T大の、TJですが・・・・」
そう返答がある直前の、一瞬の空白時間に、私は確かに相手を悟った。
TJ先生だった。
昨日、F社編集部より、TJさんが、T大病院に入院しているという知らせを受け取った私は、びっくりして、とにかくびっくりして、思わずメールに向かい、
「いったい、どうなさったのですか?
どうか、ご様子をお知らせください。」
そう、送信していたのだった。
TJ先生の具合がよくないということを、かねてより聞いていた私は、正直いって、かなり、悪い想像をしていた。最悪のことまで、予想せざるをえない状況を、感じていた矢先だった。
だから、入院の知らせは、めまいがするほどに・・・ショックだった。
秘書の方が、私のメールをプリントアウトして、持ってきてくださったと、
TJ先生はおっしゃった。
私は、電話で話をしながら、必死で、声をとりつくろった。
胸がつまって、涙声になるのを押さえようと、平静を装おうとするほど、声が震えた。
今月はじめにモンゴルのウランバートルで倒れ、一時は、命が危なかったともきいた。
今日の電話で、私は確信しました。
TJ先生は、かけがえのない人なのです。
土曜日、会いにいこうと思います。
姫?と思ったが、アドレスに登録していない電話番号の数字が、携帯画面に表示されている。
誰だろう・・・・
そう思いながら、通話ボタンを押した。
「T大の、TJですが・・・・」
そう返答がある直前の、一瞬の空白時間に、私は確かに相手を悟った。
TJ先生だった。
昨日、F社編集部より、TJさんが、T大病院に入院しているという知らせを受け取った私は、びっくりして、とにかくびっくりして、思わずメールに向かい、
「いったい、どうなさったのですか?
どうか、ご様子をお知らせください。」
そう、送信していたのだった。
TJ先生の具合がよくないということを、かねてより聞いていた私は、正直いって、かなり、悪い想像をしていた。最悪のことまで、予想せざるをえない状況を、感じていた矢先だった。
だから、入院の知らせは、めまいがするほどに・・・ショックだった。
秘書の方が、私のメールをプリントアウトして、持ってきてくださったと、
TJ先生はおっしゃった。
私は、電話で話をしながら、必死で、声をとりつくろった。
胸がつまって、涙声になるのを押さえようと、平静を装おうとするほど、声が震えた。
今月はじめにモンゴルのウランバートルで倒れ、一時は、命が危なかったともきいた。
今日の電話で、私は確信しました。
TJ先生は、かけがえのない人なのです。
土曜日、会いにいこうと思います。
キエフへの列車で ― 2009/08/07 02:08:25
TJ先生にさよならをし、キエフへと向かうための鉄道駅に着いた私は心細かった。
そりゃそうですよ、ロシア語が出来るわけでもなし、外国を旅するのは初めてだというのに、無謀にも1人旅なのですから。
一気にどっと不安が押し寄せてきた私に、インツーリストの係員が「このコンパートメントに乗りなさい」と指示をする。間違いなく私をそのワゴンに押し込めると、ここで決まり文句。
Have a nice trip.
そういって、列車が出るまで見送るわけですが、これで担当者は責任遂行完了です。
これからの旅に期待もあるものの、不安のほうが大きかった私は、ロシア人ばかりのコンパートメントで、物珍しそうにじろじろ見られながら、小さくなっていた。実際、キエフまでの、長い道中のなか、いろいろありました。
やがて、広大な平原の中の駅に着くたび、1人2人と、下車していき、いつしかコンパートメントに残ったのは、出発以来、一番私のことを毛嫌いしていた20代とおぼしき若きロシア青年。
お菓子などをまわしても、絶対に、もらってくれなかった。「そんなもん、いるか!!」といわんばかりに、はらいのけられました。この青年をのぞく他のロシア人の同室者たちは、「もっとほしいんだ。家で待っている家族の分ももらっていいか?」といったほどで、この青年とはまったくの正反対。
でもこの青年、ロシア人同士での、持ち寄りのお菓子を交換するのには、こころよく応じているので、要するに、私だけが拒否されていたわけですね。
思うに、私が気に入らなかったのか、私が配ろうとするお菓子などが、彼らの祖末な食べ物(茶色の紙でくるんだパンとか、形も色も悪い、見た目は粗悪品にみえるようなお菓子など。むろん、包装なし)に対して傲慢に見えたのか、とにかく、私が気に入らなくて、無視状態。
それなのに、どうしてこの人と私だけが、まだ下車せずに乗ってるの〜と、ますます憂鬱になった私は、どうしていいかもわかりませんし、まだまだ目的地キエフまでは長いので、ここは1人旅の気分を満喫すべしと、彼の存在を忘れることにしました。
で、移り行く車窓の景色を、ただただ飽きることなく、眺めつづけていたのですが、あるとき、車内販売のワゴンが、わたしたちのコンパートメントに声をかけました。
私はちょっと笑って「けっこうです」と手で合図。
すると、この青年、チョコレートをひとつ、といって、買いました。
その光景を見届けたあと、私はまた、窓の外に視線を投げようとしたのですが、おもむろに、目の前が、大きな板チョコでふさがれました。
びっくりして、我に返ると、無愛想な青年が、無愛想な顔のまま、私にチョコレートを差し出しているのです。
おもわず私は、「スパシーバ」といって、受け取りました。
そして、お返しに、私の持っているお菓子(彼にとっては珍しい外国のお菓子ということになる)を差し出すと、はじめて、抵抗もせず、ニヤッと笑ってもらってくれました。
それからは、キエフまで、楽しい時間になりました。ただし、私はロシア語は話せませんし、彼は、ロシア語以外、いっさい理解しません。そこで私は彼に、ロシア語の数の数え方を習いました。日露辞書を手でさししめしつつ、私がこれからフランスまで行こうとしていること、そこで、大学に行くつもりでいること、などなどを話し、彼は、自分の好きな音楽のことなどを話してくれました。
途中で下車していった、隙あらばセクハラじみたことをしようとした愛想だけはよかった変なおじさんとは違い、親しくなってみれば、とてもマナーのよい清潔な青年でした。
とうとうキエフに到着。列車が止まったかと思ったら、もう、私たちのコンパートメントの前には、この地での私の担当となっているインツーリストの女性が立っていました。
係員に名前を確認されて、返事をしたりしているうちに、彼は、さっさと荷物をまとめ、さよならもいわず、降りていってしまいました。
そう、レニングラードを出発したばかりの、固いかたくなな表情の彼に戻ってしまったような態度で。
おもわず私が、さよならぐらい言いたかった、といわんばかりの顔つきで、彼の後ろ姿を見送っていたら、ふりむいてくれました。そして、打ち解けて楽しかった時の笑顔で、でも、ちょっとニヒルを気取ったような仕草で、手を振ってくれました。
車内でいっしょにとった写真を、パリで焼き増しをし、ロシア語の手紙文例などを参考にしながら、彼のソビエトの住所に送ると、その後しばらくして、返信がきました。理解不可能な英語で・・・
でも、彼の気持ちがわかったような気がして、ほっんとうに嬉しかった。素敵な、青年でした。
ブロンドで青い目、背が高く、そして清潔なかたくなさを持った・・・・
そりゃそうですよ、ロシア語が出来るわけでもなし、外国を旅するのは初めてだというのに、無謀にも1人旅なのですから。
一気にどっと不安が押し寄せてきた私に、インツーリストの係員が「このコンパートメントに乗りなさい」と指示をする。間違いなく私をそのワゴンに押し込めると、ここで決まり文句。
Have a nice trip.
そういって、列車が出るまで見送るわけですが、これで担当者は責任遂行完了です。
これからの旅に期待もあるものの、不安のほうが大きかった私は、ロシア人ばかりのコンパートメントで、物珍しそうにじろじろ見られながら、小さくなっていた。実際、キエフまでの、長い道中のなか、いろいろありました。
やがて、広大な平原の中の駅に着くたび、1人2人と、下車していき、いつしかコンパートメントに残ったのは、出発以来、一番私のことを毛嫌いしていた20代とおぼしき若きロシア青年。
お菓子などをまわしても、絶対に、もらってくれなかった。「そんなもん、いるか!!」といわんばかりに、はらいのけられました。この青年をのぞく他のロシア人の同室者たちは、「もっとほしいんだ。家で待っている家族の分ももらっていいか?」といったほどで、この青年とはまったくの正反対。
でもこの青年、ロシア人同士での、持ち寄りのお菓子を交換するのには、こころよく応じているので、要するに、私だけが拒否されていたわけですね。
思うに、私が気に入らなかったのか、私が配ろうとするお菓子などが、彼らの祖末な食べ物(茶色の紙でくるんだパンとか、形も色も悪い、見た目は粗悪品にみえるようなお菓子など。むろん、包装なし)に対して傲慢に見えたのか、とにかく、私が気に入らなくて、無視状態。
それなのに、どうしてこの人と私だけが、まだ下車せずに乗ってるの〜と、ますます憂鬱になった私は、どうしていいかもわかりませんし、まだまだ目的地キエフまでは長いので、ここは1人旅の気分を満喫すべしと、彼の存在を忘れることにしました。
で、移り行く車窓の景色を、ただただ飽きることなく、眺めつづけていたのですが、あるとき、車内販売のワゴンが、わたしたちのコンパートメントに声をかけました。
私はちょっと笑って「けっこうです」と手で合図。
すると、この青年、チョコレートをひとつ、といって、買いました。
その光景を見届けたあと、私はまた、窓の外に視線を投げようとしたのですが、おもむろに、目の前が、大きな板チョコでふさがれました。
びっくりして、我に返ると、無愛想な青年が、無愛想な顔のまま、私にチョコレートを差し出しているのです。
おもわず私は、「スパシーバ」といって、受け取りました。
そして、お返しに、私の持っているお菓子(彼にとっては珍しい外国のお菓子ということになる)を差し出すと、はじめて、抵抗もせず、ニヤッと笑ってもらってくれました。
それからは、キエフまで、楽しい時間になりました。ただし、私はロシア語は話せませんし、彼は、ロシア語以外、いっさい理解しません。そこで私は彼に、ロシア語の数の数え方を習いました。日露辞書を手でさししめしつつ、私がこれからフランスまで行こうとしていること、そこで、大学に行くつもりでいること、などなどを話し、彼は、自分の好きな音楽のことなどを話してくれました。
途中で下車していった、隙あらばセクハラじみたことをしようとした愛想だけはよかった変なおじさんとは違い、親しくなってみれば、とてもマナーのよい清潔な青年でした。
とうとうキエフに到着。列車が止まったかと思ったら、もう、私たちのコンパートメントの前には、この地での私の担当となっているインツーリストの女性が立っていました。
係員に名前を確認されて、返事をしたりしているうちに、彼は、さっさと荷物をまとめ、さよならもいわず、降りていってしまいました。
そう、レニングラードを出発したばかりの、固いかたくなな表情の彼に戻ってしまったような態度で。
おもわず私が、さよならぐらい言いたかった、といわんばかりの顔つきで、彼の後ろ姿を見送っていたら、ふりむいてくれました。そして、打ち解けて楽しかった時の笑顔で、でも、ちょっとニヒルを気取ったような仕草で、手を振ってくれました。
車内でいっしょにとった写真を、パリで焼き増しをし、ロシア語の手紙文例などを参考にしながら、彼のソビエトの住所に送ると、その後しばらくして、返信がきました。理解不可能な英語で・・・
でも、彼の気持ちがわかったような気がして、ほっんとうに嬉しかった。素敵な、青年でした。
ブロンドで青い目、背が高く、そして清潔なかたくなさを持った・・・・
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