2011年3月11日以後2011/03/28 00:47:55

言葉が、見つからない・・・
11日以後、絶えることのない緊張した毎日が続いている。

11日の14時過ぎ、わたしはオフィスにいた。
恐ろしい揺れに、社内は騒然となり、社屋はみしみしと悲鳴をあげていた。建築材の破片が空を舞い、規則正しく並べられ敷き詰められている正方形のカーペットがはがれ、ぴょんぴょんとフロアで踊っている。長い時間だった。防災アナウンスが流れ、北の丸公園に避難するようにとの指示。しかし、上階から下を眺めると、身動きのとれないほどの人の波が、すでに路上を埋め尽くしていた。

いったんは外に出たものの、おそるおそるオフィスに戻った。大半の人が戻っており、また戻りつつあった。
わたしは、電源が入ったままのパソコンの前にすわった。2件のメールがきていた。

フランスのあの人と、エマニュエルの2人だった。
時差から考えると、朝起きてすぐのニュースで知ったのだろう。いつもは、なかなかメールの返信をしない私だったが、この時は即座に返事を送信。

「大丈夫、無事でした」

翌日にかけて、あの人と私は、仙台のN彦さん夫妻の安否がわからず、よくない想像ばかりがふくらむ。

そしてエマニュエルは、姫と少年だけでも、フランスに来させてはどうか。僕が預かる・・・・とまで言ってくれた。情報が錯綜し、冷静を保とうと思っても冷静さを欠いていた私は、こどもたちにとってもはまだ見ぬフランスという土地へ、最悪の場合送ることまで、本気で考えたほどだった。

数日後、N彦さん夫妻から、無事の知らせがあった。心底、ほっとした。彼らの無事を確認した後、即座にあの人にメール。

「日本に、来てはだめ」

あの人に会えないと思うと、身を切られるように寒々とした思いにかられたが、あの人も、そう健康ではない。今、日本に来させるわけにはいかない。

「ぼくは予定どおり、日本に行くつもりだ。フライトは、キャンセルしていない。もし子供たちを連れて、ヨーロッパのpurな空気の下で過ごすのがよければ、いつでも喜んで迎えるつもりだ」

これが返事だった。
日本に来るな、と自分で言っておきながら、いや日本には行く、と言われて、この日のわたしは明るかった。日本の現実はなんら変わらないのに、久しぶりに、顔を上げることが出来た、そんな気がする。あの人が「来る」といってくれたことが嬉しかった。

ありがとう。
日本や、日本にいるわたしたちを思いやってくれるすべての人たちに、心から心から、感謝します。

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