2枚目の葉書2009/09/03 07:55:37

9月1日、TJ先生から、葉書。
28日金曜日に、退院したとのこと、9月15日には、大学に戻るつもりだということが、書かれてあった。

「学生のことが心配です」
TJさんは、今、T大学院の教官だが、このごろ思う。

TJさんは、こうして大学に縛られてしまわないほうが、よかったのではないか・・・・などと。
大学の研究室にいてこそ出来ることも、もちろんあるだろう。
でも、研究以外の多くのことにも、縛られる。
ま、そんなことを、私なんかが思ったところで、勝手な言い分でしかないが。

29日金曜日に、私は、竹でつくられた素朴な花器に、野の花をいけてもらい、それを持って、T大病院に向かった。
入院棟の案内カウンターで、TJ先生の名前を告げる。

と・・・・「昨日、退院なさっています」。

「え?・・・・・・・・・・」

私は

「そうですか、ありがとうございました」

といって、踵をかえした。
せっかく、お見舞いに来たのに・・・・という気持ちはもちろんあった。でも、どこかで、ほっと安堵している自分があったのも事実だった。

「神さまが、こうして、会わないようにしてくださったのかもしれない」

そんな風に、わたしらしくもない少女じみた発想が、ぽっと心のなかに生まれる。

実際、案内カウンターの前で、私はどきまぎしていた。

「どうしよう、どんな顔をして、どんな言葉を、はじめに言えばいいのだろう」

TJさんが、やつれていても、決して驚いた顔をしてはいけない。・・・・などと、緊張に乱れた私の心が、そのまま伝わってしまうことを恐れる気持ちばかりがふくらんでいたのだ。

だから、今日は会えない、ということがわかった瞬間、安堵したのは事実、そして、やはり「会いたかった」というせつなさが、帰路につく私を、ずっと支配していたのも、また事実。

いただいた葉書の末尾に、携帯電話の番号。
「今は、携帯電話だけが、通信手段です」

なるほど、メールは見られないということですね。
そうだ、私が入院中に送ったメールは、研究室の方がプリントアウトして病室まで届けてくれたとのことだった。

昨日は、一日中、仕事先で忙殺されて自由のきかない身であったけれど、今日、電話をしようと思います。

お会いしましょう2009/09/05 15:50:29

3日、TJさんに電話をした。

入院中の時よりも、声に力がある気がする。
そしてあろうことか、3日間、出張で出かけるとのこと。

絶句・・・・

「いや、大丈夫ですよ」

と、そういわれても、私は、なんだかんだと、うるさいことを言ってしまったに違いない。はたと気がついた私は、

「わたし、うるさいですね。すみません。」

「いや、一度、お会いしましょう。会いたいと思った人には、思ったときに会っておくのがいい、最近、そう思うようになったんですよ」

そうですか、それは私も同じ思いです。
でも私、会いましょう、といわれて、「はい」って、言ったかな。
いや、言ったと思いたい。
とにかく、電話でのことは、あまり覚えていない。
なんだか、涙もろくて・・・・

来年は会いにいきます2009/09/05 15:59:10

TJさんのことで、すっかり私は、精神的に歳をとりました。
こんなに、精神的に不安定になるとは思わなかったほどです。

私にとってはそれだけ、20代のころに出会った人々は宝物のように大切で、失うことなんて考えられないほど、大きな存在なのだとあらためて思いました。

フランスのあの人から、「きみは生きているかい?」のメールをもらったのが、7月20日。

ずっと返信をしていなかったけれど、一昨日夜、メールを書きました。
翌朝、すぐに、返信がありました。心配をしてくれていたんですね。ごめんなさい、ありがとう。

来年の春、もしくは夏、フランスに行こうと思っている、と書きました。

「来年こっちに来られるって? それは嬉しいな。こちらの予定をアレンジするために、予定がきまったら、とにかく早めに知らせてほしい。ニースに来ることも、考えているかい?」

ニース、かつて歩いた浜辺は、今も変わらないだろうか。

「ニースの浜辺は、あまり好きじゃないよ。小さな石がまざって、あまり快適じゃないんだ。もっと、繊細な砂浜のJuan-les-Pinsが、やっぱりいいさ」

Juan-les-Pins・・・懐かしい。
冬に訪れても、ほっこりと暖かい空気が、頬にやさしかった。

あの人は、今月7日から18日まで、ギリシャで休暇をすごすとのこと。
そう聞いて、私の精神状態は、かなり、よくなった。
だって、元気な証拠だもの。病気をしていないのなら、何よりのこと。きっとギリシャから、また絵葉書を送ってくれるだろう。
13年前のギリシャでの夏を思い出しながら、私はまたメランコリックになるかもしれないけれど。

来年は会いにいきます。
昔とかわらないまま、ふらふらと、思いつくままの気ままな旅ができたら、このうえなく、嬉しく思います。

秋の日2009/09/06 10:06:19

今日は、素晴らしいお天気だ。
夏の名残を残しつつ、からりと晴れて気持ちがいい。
もう少し先になると、さわやかとはいっても、肌寒さが感じられ、しんしんと秋の深まりを感じるようになる。今日は、そんな季節の一歩手前、というあたり。

姫は午前中、科学倶楽部に出かけた。
少年は、午前中は宿題を片付けるはずだったが、急遽、お出かけ。

急に会社に行かなければならなくなったNさんといっしょに、彼は午後の科学倶楽部のリュックをしょって、喜々として「いってきます!」

Nさんの会社に立ち寄ったあと、今日は都電の一日乗車券で、全線乗ってくるらしい。お昼を外ですませ、そのまま科学倶楽部。
お天気もいいから、都電での小さなな旅は、最高だろうなあ。

姫は午後から山ほどこなさなければいけない課題があるけれど、姫も、少しは外に連れ出してあげたい。

昨晩は、2人そろってピアノのレッスン。
先生の前で、はじめて連弾の合わせを披露。

「心配だったけれど、思ったよりは出来ていて安心しました」

ほ〜〜っ・・・・としました。

姫のバイオリンレッスンは、今後半年、少しゆるめてもらうことになりました。月に2度のアンサンブルレッスンは、1月末までお休みします。
毎週のレッスンは、月に2度に。

でも、練習、なかなか出来ないねえ、姫。

Ks.氏から2009/09/08 02:01:19

昨日、葉書が届いた。
Ks.氏からだった。

なつかしいなあ、と思いつつ、まだ、Ks.書房が健在で、体力のあることを嬉しく思う。

そして今日、メールも着信。
某著名詩人の会への、お誘い&お知らせだった。

行ってみようかな。
いや、でも、やめておこうか。

この時期、Ks.氏からの、偶然の音信は、なんだか不思議な気もする。

Ks.氏は、フランスのあの人のことを知る、日本にきたあの人に会ったことのある、たった2人の日本の知人のうちの1人。

あの人が、はじめて日本に来たのは、15年ほど前だったか。
私がフランスから帰国して、3か月後に入社した小さな出版社での先輩社員だったKs.氏は、無口でクールな、とらえどころのない飄々とした人だった。

当時、社内での私の親友と呼ぶにふさわしかったChieとつきあっていたKs.氏は、ごく自然に、私のことを、Chieとともに知るようになり、その縁で、4人で、日本のささやかな旅を楽しんだ。

Ks.氏が、某社に誘われて退職したあと、私はあいかわらず会社に残って仕事を続けていたが、編集長とどうにもうまくやっていく自信がなく、ある日、担当雑誌の最新号が出たところで、辞表を出した。

あとのことは何も考えずに会社を辞めた私に、A社のSさんが、突然、もの書きじみた仕事を私にふってくれ、たじたじとする私になんとか仕事をさせてくれていた。
そんなころ、転職をしたKs.氏から、「こっちに来ないか」との話があった。

考えた末、私はまたも、Ks.氏と同じ職場で働くことにした。
今から思えば、Ks.氏は、私の人生の岐路を左右した人であったかもしれない。

Ks.氏の誘いがなかったら、私はこの世界から、とっくにはじきとばされていたに違いない。

それなのに、私はKs.氏よりも先に、第2の職場を離れた。
恩知らずとは、まさにこのことだ。

そして、第3の会社で、私は今も、働いている。
さすがに、若かったころのような勇気は、今はない。
理想よりも、保身を考えるように、なってしまった。

私が第2の会社を去った後まもなく、Ks.氏もその会社を去った。
そして独立。

今は、自分の目にかなったものだけを出版する、小さな出版社のオーナーとなった。こういう志のある出版社は、経営は非常に苦しいものだ。それなのに、踏ん張っているなんて、素晴らしいことだ。

Ks.さん、あの人は今、ギリシャにいますよ。
あいかわらず、海が好きです。

はじめて、伊豆の海を見たあの人が、

「信じられない、ぼくは、太平洋を目の前にしているんだ!」

そう感嘆していたのを、覚えていますか?



そうか・・・、Ks.氏となら、あの人の思い出話ができるんですね・・・・
でも、Chieのいないところで、Ks.氏に会うのは、やはりよしたほうがいい。

Ks.氏とChieは、いっしょになることはなく、今もそれぞれの道を歩んでいるけれど、やはり、Chieにとって、大切な人だから。

Ks.氏に会うのなら、Chieを誘ってからだ。それが、筋というもの。